「働きがい」なんて、もうどこにもない
お年を召した経営者の方々は、「最近の若者は無気力だ」とか「仕事に対する責任感に欠ける」とか言ってらっしゃる。
草食系男子などと揶揄され、「働いたら負け」と考えてしまう最近の若者*1の仕事に対する意識を考えてみた。
結論
先に結論を書くと、
- 若者は、働く意義を失ったから、働く意欲も失った
ということじゃないかと思う。
そもそも仕事に"本質的な意義"があるのか?
自分がやっている仕事が"本当に世の中のためになっている"といいきれる人が、どれほどいるのだろうか。
大量消費社会の真っ只中で、自分の作っているものが、生まれては消費され、すぐに消えていく。もちろん、その消費される瞬間に、その商品は使用者にとって有意義な物になっているのだろう。
しかし、それは何というか、本質的じゃない気がする。
「つまらないものを作らされている」
「つまらないものを売らされている」
こういう思いは、多少なり皆が抱えているのではないかと思う。
そしてこれは、今も昔もさほど変わっていないんじゃないだろうか。
意義のある仕事って何だろう
では、いったいどのような企業で従業員価値が高いといえるのだろうか。すでに述べたように、従業員価値を評価し、またランキングまで結びつける努力は、主に米国発で多くなされているが、なかでも老舗は、Great Place to Work(R) Instituteの考え方である。最近、日本でもそれを応用したモデルで日本でのベスト25社を選ぶ試みが行われている。
なぜ日本の会社は「働きがい」がないのか
このモデルによるとベスト25社とそうでない企業を分ける基本軸は五つあり、信用、尊敬、公正、誇り、連帯感であると主張される。簡単に紹介すると、
(1)信用とは、従業員が責任ある仕事を任されている
(2)尊敬とは、仕事を行うために必要なものが与えられている
(3)公正とは、学歴や人種などに関係なく、公正に扱われている
(4)誇りとは、自分たちが成し遂げている仕事を誇りに思う。この会社で働いていることを胸を張って人に伝える
(5)連帯感とは、この会社は入社した人を歓迎する雰囲気がある
というような内容である。
五項目の指針が上げられているが、こんなものが見事に揃っている企業なんてものはそんなに存在しない。
それでも、ごく稀には存在するようで、そういう企業に勤めて働いている人はいきいきしている。らしい。見たことはないけど、たぶんそうなのだろう。
スティーブ・ジョブズの名言に、
「残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか、それとも世界を変えるチャンスが欲しいか?」
という格好良いんだか厨二なんだか分からない言葉があるが、ともかく"世界を変えるチャンス"になるような仕事なら、そりゃあ誰だって熱意を持って取り組むだろう。
しかし、そういう仕事は世の中には数少ない。
今まではどうやって回っていたのか
熱意を持っていれば、世界は変えられなくても、より多くのお金が得られる時代というのがあった。いわゆる、終身雇用&年功序列型賃金の時代である。
この時代は、ともかく仕事を一生懸命*2にやっていれば、昇給という形で明確な対価が与えられていた。
"昇給"という目標が"働きがい"に繋がっていたのだ。
ここでは仕事そのものの意義はさほど重視されてこなかった。そういうものを重視する人はどちらかというと特殊で、脱サラなんて言葉がもてはやされたりもしたらしい。
そういうちょっと特殊な人たちは、
「つまらないものを作らされている」
「つまらないものを売らされている」
という意識にさいなまれ、増え続けていく給料と、仕事の"本質的な意義"を天秤にかけて、"意義"の方を取った。そういう人は、馬鹿であり、同時に格好良いとされた。
しかし、天秤にかける"増え続ける給料"が、今は存在しない。
そして、仕事の"本質的な意義"は、最初から存在しない。
これじゃあ、お話にならないのである。
働くこと=時間の無駄
前述の通り、世の中にはどちらかというと"本質的じゃない"(と感じられる)仕事が多い。
そういう仕事をしている人にとって、働くことというのはただ単に時間の浪費に過ぎない。
時間の浪費に過ぎないのにがんばってこれたのは、がんばれば正当な報酬としての昇給が存在していたからだ。
しかし、今ではその昇給なんてものが存在しないも同然で、それどころかいつ自分の首が飛んでもおかしくない状況だ。ただでさえ時間の浪費なのに、そこでさらに仕事をがんばることは、最低最悪の無駄である。
最低限の賃金だけは与えられているから、最低限の労働をやっているのが、現在の若者である。
つまらない上に何の得にもならない仕事に向ける時間と熱意があるのなら、それを趣味などに投じるのが正当だ。
経営者はどうすればいいのか
お年を召した経営者の方々は、もう自分たちが労働者だった時代とは違うのだということを認識すべきである。
若者たちに、薔薇色の未来なんて存在しない。給料は据え置きで、リストラは常に目の前をちらついている。結婚なんてできないし、結婚しても子供なんて作れない。年金もきっともらえない。お先真っ暗だ。
真っ暗な未来を前にただただ無気力に突っ立つしかない若者たちから熱意を引き出すには、お金をあげるか、夢をあげるかしかない。
そして、お金は何も無いところからは生まれないが、夢は何も無いところからこそ生まれる。
ぜひ、口先三寸で若者たちを夢の世界に導いてほしい。
若者はどうすればいいのか
今のまま生きていけるだけ生きていくというのが最も無難ではある。
周りの人たちも「今は様子見」と言っている。たぶん10年後も同じことを言っているだろう。それを言っていられる間は、まぁまだ大丈夫である。
しかし、少しでも現状を改善しようと思うなら、ともかく少しでもいい条件の労働環境へと移るしかない。この条件というのは、別にお金だけの話じゃない。時間とかやりがいとか、そういうものも考慮の対象だ。
お金かやりがいや時間か、いずれを軸にするかは個々人の自由だが、お金は今どこにも存在しないので、やりがいを与えてくれそうな場所を探すのがまだ現実的だろう。
アニメが好きなら、アニメーターにでもなってみればいい。画力はさほど必要ない。彼らは薄給だが楽しそうだ。
小説が好きなら、物書きでも目指してみればいい。安い賃金でバイトして、夢に向かって努力するというのも格好いいだろう。
どうせ今の環境で労働を続けても限られた人生の時間を無駄にするだけなのだから、そんな未来の無い、つまらない労働はすぐにやめて、自分がやりたいと思えるようなことをやればいいのだ。
難しいことだけど。