非モテを考えてみた

 非モテはなぜ非モテであることを異様に気にするのか。
 恋人がいなくても童貞でも満足している人がいる一方、恋人ができて童貞を捨てても満足できない人がいるのは何故か。
 そういうことを考えてみた。


 しかし、増田は面白い。
 ネタ*1の宝庫だね。

先に結論を書こう

 いつもいつも無駄に長い記事を書いてしまうので結論を先に書く。

  • 非モテは"主体の欠如感"に悩んでいる。


 という結論に達した。
 以下、細々と書いていきます。

主体というもの

しゅたい 0 1 【主体】

(1)自覚や意志をもち、動作・作用を他に及ぼす存在としての人間。
...
(3)〔哲〕〔(ギリシヤ) hypokeimenon; (ラテン) subjectum〕
 (ア)何らかの性質・状態・作用などを保持する当のもの。読書という行為における読み手、赤いという性質を具有する花、の類。
 (イ)(「主観」が認識論的意味で用いられるのに対し、存在論的・倫理学的意味で)行為・実践をなす当のもの。

goo辞書

 誰しも、自分自身が自分自身として確固たる存在を持っていると信じ込んでいるし、もちろんその通りである。
 私は私であって、あなたではない。あなたはあなたであって、どこかにいる別の人間ではない。
 ある人間がまさしくその人間であり、その人間自身がそれを何の迷いも無く受け入れているということは、その人間自身に主体があるということである。

主体は客体によって定義される

 私が私であることを証明するには、自分自身の特徴を列挙するだけでは難しい。性別、人種、国籍、名前、身長、体重、顔の作りや身振り、喋り方、口癖・・・色々な要素を列挙しても、それが本当に私のことかどうか、実のところよく分からない。
 ドイツの伝説にあるドッペルゲンガーのように、自分と全く同じ特徴を有した人間がいないとも限らない。あるいは、遺伝子工学なぞが発達して、自分と全く同じ特徴を有したクローンが現れ「私はお前だ」などと言いはじめたら、自分が誰なのか分からなくなってしまう。なりすましやサイト乗っ取りという話を時々聞くが、私ではないものが私を名乗るという状況は、実際にある。
 これはつまり、アイデンティティが曖昧になっているということだ。


 しかし、他人が証明してくれればどうだろうか。
 私の友人が「君は"君"だよ」と言ってくれれば、私は私自身であるということが第三者の観察により証明されたことになる。
 母親が私を産んだ時のことを語ってくれたならば、"母親から確かに産まれ出た自分自身"というものが定義される。
 あるいはもっと単純に、「君は俺じゃない、別の人間だ」という風に世界中の全ての人間が言ってくれれば、間違いなく私は私以外の何物でも無い、私自身であるということが言える。
 つまり、私が私自身であるという確固たる主体を定義するには、"私以外の人間"である客体の存在が不可欠ということになる。

シュレーディンガーの自分

 "主体"という何かよく分からないブラックボックスの中に、確かに存在するはずなのによく分からない"私"がいる。
 ブラックボックスを開けるまでは、私の有様がどのようなものか、いまいち判然としない。
 私は優しい人間だろうか。
「自分では優しいと思っているんだけど、本当はどうなんだろう。っていうか、優しいって何よ」
 性格一つ取ってみても、自分ひとりじゃ何も分からないのだ。


 しかし、ブラックボックスを開いて"私"の有様を観察する"他者"がいれば、"私"はその時に明確に定義される。
「君は厳しい人間だね」
 私は自分自身について"優しいと思う、たぶん"という推測を立てていたが、実際には"優しくなかった"。
 曖昧だった"私"は、優しくない"私"として定義された。
 ブラックボックスである"主体"を開く"客体"が無いことには、"私"はずっとよく分からない人間であり、優しいような優しくないような、かっこいいようなかっこわるいような、ふわふわしたよく分からない存在のままである。

主体を定義する人たち

 他者との関係が希薄であったりすると、その人は自分自身の主体を定義しきれないまま成長してしまい、
「結局俺って何なのよ、何のために生きてるのよ」
 という疑問や不安を悶々と抱え、惰性に流されたような気持ちのまま生きていくことになってしまう。
 親に対する子であるところの自分、友人の会話相手である自分、会社で大事な仕事を任されて頑張っている自分・・・自分は他者に対することで確かに存在している。
 ネトゲで「私がいないとみんなが死んじゃう><」と考えること、夫に対して「あんたは私がいないと本当に何もできないんだから」とため息をつくこと、P2PでROMデータを放流してネ申と言われることに愉悦を感じること・・・全て、"他者が自分を必要とすること"で自分自身の主体を確認するという心の有様からくる行動だ。
 つまり、自分自身の主体を認められるということは、自分自身の居場所があるということである。

非モテが感じる"主体のなさ"は何なのか

 仕事ができて友達もいて、趣味は充実しているし、これからやりたいこともまだまだある。
 そういう人は、主体をわざわざ必死に定義することもなく、最初からそれがあることを無意識的に信じきっている。
 だから、そういう人は仮に彼女がいなくても、童貞であっても、非モテで悩んだりはしない。

恋愛、結婚って
そんな良いものなのかな?と思っている自分はやっぱり変なのかな。

恋愛、結婚


 一方の"非モテ"たちはというと、主体の定義が上手くいかなくて、それを何とかすることに汲々としている。
 そして、"非モテ"たちは、主体の定義のためにまだ見ぬ"客体"である"恋人"を求める。
「"恋人"というものは、どうやら他の何人にも代えられぬほどの明確な"主体"を定義してくれるようだ。"あなたがいなきゃダメなの"と囁き、私自身のみを欲してくれる。他の誰でもない"私自身"のために、献身的に甲斐甲斐しく行動し、私自身からの好意のみを受け取ってくれる。彼女が定義する"恋人"は"私自身"だけだ。"私自身"を最も明確に定義するためには、"彼女"が必要なんだ」
 などと考えている。
 彼らは"究極の客体"である"恋人"を見つけられれば、私自身の"主体"が確固たる不動のものになると信じているのだ。

"究極の客体"では無かった"恋人"

28で初めて彼女ができ童貞捨てた口だが感動は全く無かった
...
誰もが一度は食べたい超高級料理(女)を順番待ちしてたら理不尽にイケメンに横入りされてしまい
長者の列の最果てで待ちに待ってやっと自分の順番が来たが既に冷めて腐っている高級料理(女)を食べても当時の味がするわけない

非モテは彼女ができても非モテ

 引用のエントリーで物議をかもしている表現だが、これは超高級料理が腐った料理になっていたのではなく、普通の料理を高級だと思って食べたらあまりのがっかり感に腐っているように感じただけだろう。
 性行為は確かに"異性である自分"を明確に定義するだろう。入れるほうは男性で、入れられるほうは女性である。童貞を捨てる事は、自分自身が紛うことなき"生物としてのオス"であることを認識するには最良の手段である。しかし、それ以上のものではない。
 しかし、童貞をこじらせると、性行為と女性に対して過剰な期待を抱くようになってしまう。
 自分自身をこれ以上無く明確に定義してくれる"性行為"と、自分自身を永遠に定義し続けてくれる究極の客体としての"恋人"というもの。双方共に幻想である。
 引用エントリーは「青春時代の脱童貞じゃなきゃ意味がない」というような締めくくりがされているが、そうではない。脱童貞の本質は同じである。10代の脱童貞も、40代の脱童貞も、"主体を定義するための客体を伴う行為"の一つであることに変わり無い。ただ、受け手の状態が違うだけだ。


 そして、恋人も全く同じことである。
 恋人はそれまで存在したいかなる他人とも異なる"客体"であるが、それは決してその他の"客体"に勝るほどに究極的な"主体"を定義するような存在ではない。
 恋人がいても、友人がいなかったり、趣味がなかったり、仕事がなかったりすれば、圧倒的な"主体の欠如感"にさいなまれることは想像に難くない。恋人が定義してくれる"主体"の幅は非モテが思っているほどには広くない。*2
 だから、おかしな情報や歪んだ先入観などで"恋人の万能性"を信じてしまった非モテたちは、いざ恋人ができても"腐った料理"にしか感じられない。普通に食べればおいしいはずなのに、自分で勝手にハードルを上げておいて、結局自分でマイナス評価をつけているのだ。


 そして、いわゆる処女厨も同じメンタリティである。
 "彼女の恋人である自分"によって全ての"主体"を定義しようとしているのであるから、"彼女の恋人"は後にも先にも自分以外いてはいけない。
 自分以外に"彼女の(元)恋人"がいると、"彼女の恋人である主体"が自分以外にもいることになってしまう。自分自身が曖昧になってしまうのだ。
 "恋人によって定義される主体"などというものは、本来なら多数の客体によって複合的に定義されるマクロな主体の中のミクロな一要素に過ぎないのに、そのミクロな要素だけに依存し過ぎているのである。

"非モテ"たちに言いたいこと

 友達を作ろう。
 仕事を楽しもう。
 熱中できる趣味を持とう。
 たまには実家に帰って、親に甘えてみればいい。
 どこかのお店の常連になるのも悪くない。
 色々なところで色々な"自分"を作ればいい。


 自分を定義してくれる色々な人が見つかったとき、あなたはすでに自分自身が"非モテのメンタリティ"を持っていないということに気付くだろう。
 そして、その時に恋人がいないことに不満を感じたら、あらためて恋人探しを頑張ればいい。

*1:日記の"ネタ"という普通の意味です

*2:趣味と恋人、仕事と恋人を天秤にかけることが難しいのも当然である