フィルタリングのないネット世界

 ネット世界は、情報をオープンにし、双方向の行き来の簡便さばかりを拡大してきた。フラットで自由で格差の無い美しい世界であるはずのインターネット。
 しかし、実際には有象無象が集まり喧々囂々と好き勝手に愚痴を漏らすだけの世界になってしまっているのが現実だ。
 そういうことについて考えてみた。


 フィルタリングと言うと、"未成年に対する有害情報の遮断"というイメージが強い。
 昨年末から今年の頭にかけては、携帯電話のフィルタリングに関する話題で賑わっていた。

青少年向けの携帯サイトフィルタリングが、来年2月から自動適用になる。方式は、ふさわしくないサイトをカットする「ブラックリスト方式」だ。ようやく各社そろって青少年向けのフィルタリング自動適用がスタートする。

携帯フィルタリング適用がようやくスタート

 いかにも急場しのぎの力技という形で実行された"未成年者の保護"であるが、とにかく形振り構わず"対策"を講じる必要があったからこそ、それが実行されたのだろう。その方法であるところの"フィルタリング"が方々で反対派に叩かれていたが、むしろ今のネット世界では"フィルターがない"ことによる問題の方が大きいように感じている。
 表出した具体的な被害と呼べるものは"未成年者に対する成年者による暴力"が主であったようだ。なるほど、未成年者が被害を受けているのであれば、社会の責任として対策を講ずるのは致し方ない。
 しかし、ネット上の世界では、未成年者問題の影にもっと大きな問題が存在している。そして、それはすでに色々な形で表出している。


 "現実世界に否応なく存在するフィルタリング"がネット世界には存在しない。その"フィルタリングのなさ"は、"フラットな世界"とか"自由な議論"、ワールドワイドに"国境を越えた交流"などという綺麗な言葉で肯定的に捉えられることが多かった。
 フラットなネット世界では、発信者の年齢・性別・職業あるいは人種・国籍などを越えた交流が盛んに行われている。私にも年齢・性別・職業・人種・国籍が各種様々に入り混じった友人が何人かいる。*1


 幼い頃、テレビに向かって話しかけても会話が成立しないことに疑問を感じていた。テレビの中の人は一方的にこちらに語りかけてくるだけの存在であり、そこには間違いなくフィルターが存在していた。
 しかし、テレビの中の人とテレビの前にいる視聴者は、ネット上ではフラットな存在だ。テレビの中の人はブログで自己発信し、テレビの前の視聴者はコメント欄で中の人に対する自己発信を行うことができる。
 否応なく存在していた物理的距離・職業的な壁を越え、全く住む世界の違う人間同士が双方向性のあるコミュニケーションで繋がる。これは素晴らしいことだ。


 しかし、弊害もそこには存在する。
 現実世界では環境、知識、職業などによる格差が騒がれる一方で、ネット世界ではそんな格差は微々たる存在にしか成りえない。中学生、高校生、Fラン大生、東大生、ニート派遣社員、企業の経営者、主婦・・・全ての人間に、ネット世界では出会うことが出来る。現実世界では、そこに職業や年齢などのフィルターがあり、彼らはそのフィルターの内側で生きているにも関わらず。


 ネット上で、フィルターにより守られていた個々の世界が完全にオープンとなったことで、個々の世界は多くの"新参者"を得た。その"世界"に本来いるべきではない"新参者"は、その世界の良し悪しを問わず、それを破壊する。たとえば吉本ばななが叩かれたり、にわかオタクが秋葉で好き放題したり、高校生がmixi炎上で退学したり、ポケモンの人気投票でコイルがランクインしたり、プリキュア公式サイトのBBSに卑猥な書き込みが行われたり。*2
 知識のある人はそうでない人の無知な発言に驚愕する。技術のある人は技術のない人の文句に振り回される。金持ちは貧乏人に妬みをぶつけられ、貧乏人は金持ちに笑われる。オタクの安寧は非オタの流入によってかき乱され、非オタはオタクの自己主張に苛立ちを覚える。
 被害者と成り得る人たちは加害者予備軍から遠ざかろうとするが、加害者たちは積極的に被害者を生み出そうとしている。被害者達を守るフィルターは、ネット上には存在しない。
 頭のいい人はネットを使っているうちに馬鹿になっていくだろう。ユーザーに呆れて開発をやめたフリーウェアの作者がいた。見なくても良いものを見て自分の不遇を嘆くばかりの"負け組"は行動も起こさず諦観の念ばかりを強めている。


 そろそろ情報をオープンにする方向性を弱めて、クローズドな世界の構築にも着手していった方が良いのではないか。
 頭の良い人が馬鹿になり、馬鹿な人が歪んだ知識ばかりを得、子供も大人も近道ばかりを考えて学ぶべきことを学ばないような国で良いのだろうか。
 そんな歪んだ"均質化"は誰も望んでいないはずだ。

*1:もちろんネット経由で知り合った人たちだ

*2:これらの例は倫理的な観点はひとまず無視している