法が全てではないということ
DSソフト割れ厨放流厨また逮捕
購入厨大勝利!!:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)
"割れ"の問題について
マジコンやら何やらの隆盛で、ネット界隈(というか主に2ch)では、
「違法じゃない」
「罰則がない」
という言葉を免罪符にグレーな行為を行う人が増えてきた。(いわゆる割れ厨、ダウソ厨)
そして、それに対抗する勢力(購入厨)の台詞は、
「ダウンロードも違法化」
「民事訴訟されたら罰金払わされる」
というものがほとんどだ。
しかし、これはちょっと対抗する論としては効果的ではないし、問題もはらんでいる。
こういうやりとりを見るにつけ、割れ厨はもとより、購入厨にも少しばかり欠けている視点があるように思えてならない。
それは"倫理の捉え方"と"倫理感の無い人間の社会性"に関するものだ。
倫理とは何か
人々はそれぞれの中に主観的な善悪の基準を持っている。他人に何と言われようとも揺るがない自分自身にとっての善と悪があって、個々人はその善悪判断に則って諸々の行動を起こす。
そして、本来的に(個人の)"善"というものは"自己の利益"を追求した結果決められるものだ。自分の利益になるものが善であり、自分の利益を阻害するものが悪である。
そういう個々人の身勝手な善悪基準があるから、昔から世間では諍いが絶えない。
自分にとっての善が他人にとっての悪であるということは多々ある。
ある宗教の善が別の宗教にとって悪であれば、そこに宗教戦争が起こる。
個々人が身勝手な善悪を掲げているとはいえ、集団で生活するものが人間であるから、自分が属する集団の中で折り合いをつける必要がある。
そこで、人々が属する集団には、その集団にとっての善悪基準が新たに生まれる。
集団の中に属している間は、個々人の善悪基準は封印され、集団の善悪基準が優先される。
自分にとっては直接手掴みでものを食べることこそがかっこいい行為であり善行であるとしても、集団の中に置いて"食事の際は手掴みではなく箸を使うこと"と定められていれば、手掴みでものを食べることは許されない。それは集団においては悪行であるからだ。
集団における善悪基準を侵した場合、その集団内でのペナルティ(私刑)が課される。
手掴みで春巻を食べた瞬間、自分は母親に怒られるだろう。また、兄に馬鹿にされたりもするだろう。これが集団における私刑である。
集団は多層的な集合体であるから、ある集団の上にはその集団と同程度の規模の複数集団によって構成される、より上位の集団がある。
上位の集団においては、個々の小規模な集団における善悪基準は通用しない。
小規模集団同士が折り合いをつけるための、より大きな善悪基準が存在し、その善悪基準が絶対的な力を持つ。
小規模な集団においてはゴミが出たら適当に目に付かないところに放って置くことが善行であるが、上位の集団においては決められた日に決められた場所に置いておくことが善行であり、個々の集団が勝手にゴミを放っておくことは許されざる悪行である。
このような形で集団はより大きな集団に内包されながら、無数に存在している。
最もミクロな構成要素は個人であり、現在最もマクロな集団は、たぶん"全地球・全世界"であろう。(いつかは"全宇宙"などになるのかもしれない)
そして、それらの大小様々な集団は、その集団において通用する善悪基準を持っている。
これが"倫理"である。
個人の倫理、家庭内のルール、町内会の決まり・・・個々の集団が、その集団にとっての利益を判断基準に、倫理を定めている。
そして、"倫理"はある程度の規模になると"法"となる。
法とは何か
法とは、倫理と同じである。
相当に大きくなった集団が、その集団の構成者(大小の集団、そして個人)に対して、その集団の倫理を周知するため、倫理の基準を明確化・明文化したものが法である。
自治体の倫理を明文化し、同時にその倫理に悖る行為(悪行)を行った際の"集団における私刑"を同時に記したものは、条令と呼ばれる。
国家という集団において同様の役目を果たすものが、法律である。
国家の集合体である国際社会・国家共同体における同様の存在が、国際法になる。
名前は変えても、その集団にとっての明確な善悪基準であるという点では、倫理と法というのは全く同じものだ。
なお、集団において倫理が明確に決められていない事柄について構成要素同士の利害の対立が発生した場合、第三者が主導して両者の合意を得られるよう調停することが多い。(国家における民事訴訟)
割れ厨の倫理
このように考えると「違法じゃない」とか「罰則がない」という言葉は、実に陳腐だ。
違法であるとかないとか、罰則(国家という集団における私刑)の有無は、結局は大きな倫理の話をしているだけだからだ。
国家という身近な中では最大級の集団における倫理に悖っていないとしても、それより下位の集団における倫理に悖っていれば、それは悪である。
国家集団の下にある、もうちょっと曖昧な"社会"という集団の中では、明確化・明文化されていなくても、"対価を払わず物を得ちゃいかん"という倫理が存在している。その倫理に悖る行為をすれば、社会から爪弾きにされ、非常識だと馬鹿にされ、貧乏人として蔑まれるという"私刑"が待っている。
これはつまり、
- 割れ厨の属する集団においては、割れ行為が容認されている
と捉えることもできる。
あるいは、それが容認されていない集団に属していながら、その行為がばれていないという可能性ももちろんある。
これらのことから考えると、割れ厨に対して購入厨が考えるべきこと・やるべきこと・言うべきことというのも自然と決まってくる。
あらたを考える
庶民で景気が悪いから節約しないといけないのに、
無料で手に入るものを金を出して買うという。お前が今までエロゲに使った金を考えてみろよ。
エロゲネタ板で個人情報を残した保険証晒して割れエロゲ自慢 →会社名も特定へ:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)
その金があれば割る事ができない物を沢山買えたなとか考えないの?
上記リンク先のあらた社員は、少なくとも自己の倫理に基づいて行動を取っていることは分かる。
彼は他にも、「本当に良いと思った物は買う」「グッズは買う」など、割れ厨にありがちな安っぽい倫理観を振りかざしている。
そして、彼が最低限属している集団である"日本国"の倫理(法律)において、今のところ"割れ"は明確に"悪"とされていないことも声高に叫んでいる。
そうなると、国家の下位集団である"社会"における"一般常識"という名前の倫理に基づいて悪行をやめることを諭すべきところであるが、彼個人の"社会"に対する帰属意識が薄い場合、現実的に"一般常識"に訴えることは難しい。頭が悪い人間や社会に適応できない人間、子供などは、得てしてそういうものだ。
しかし、彼は彼自身が属する集団についての情報を出してきた。
株式会社 ○○○(←3文字)
売上高 5000〜6000億、資本金50億
にあてはまるのは、株式会社あらた
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彼に罰則を与えるには、彼の帰属する集団における倫理観に基づいた私刑が必要であるから、"あらた"内部の倫理観に基づいて罰則を与えられるべきである。
それが行われないとすれば、"あらた"においては"割れ"が倫理的に悪行では無いということになる。
スレを見る限り、彼は"あらた"において罰則を与えられていないようだから、"あらた"における倫理観に照らして"割れ"は悪行ではないことになる。
"あらた"は企業として"社会"に帰属していながら、割れを容認しているわけだから、社会の倫理観に照らしてみれば明確に悪の存在であると考えられる。
結局どうすればいいのか
彼個人を攻撃する場合、彼が"社会"に帰属していないことを散々馬鹿にすれば良い。
割れってのは子供がちょっと火遊び気分で手を出すものであって、社会に帰属するようになったいい大人がおおっぴらに手を出しているというのは、相当に痛々しいことだ。
社会という集団に属する人間が遵守すべき倫理に悖っているということは、彼が社会に帰属できていない欠陥持ちのゴミくずであることも自明である。
彼が社会における倫理を身につけなければ、社会に帰属する人間と理解しあうことは無理だろう。
彼の周りに集まる人間は、社会不適応のゴミくずであり、一般常識のない馬鹿とガキばかりである。
よしんばまともな人間がいたとしても、彼はその人と理解しあえないから、自身から離れるか、相手に拒絶されるかしかない。
もちろん、彼女なんてできないし、死に際も一人ぼっちである。
哀れだ。
また、彼が帰属する集団である"あらた"を攻めても良い。
あらたは社会に帰属していながら社会の倫理に悖る人間を容認する集団であるから、社会に不適合な企業であると見ることができる。
あらたが企業として社会に帰属するのは倫理的におかしいので、あらたを排除する方向に社会の力を働かせればいい。
簡単に言えばネガキャンだ。
ただし、そもそも彼が本当にあらた社員なのかは怪しいので、うっかりしたことができないというのがネックだが。
長くなったけど
法が全てという論調がまかり通っているのは、まさに大小さまざまな集団に対する帰属意識の低下の表れだろう。
家庭という集団において親父にどれほど怒られたか、近所のおじさんにどれほどカミナリを落とされたか、学校でどれほど厳しく生活指導されたか。
子供たちはそれらの集団における倫理と自分の中の倫理をすり合わせながら大人になっていき、集団の倫理に馴染むということを覚え、大人になって社会を構成する一員となった。
それが、中間に存在する集団を飛びこえ、個人の倫理と国の倫理(=法)とを直接すり合わせる"未成熟な大人"が増えている。これは由々しき事態であるから、正しく"成熟した人"は、何とかうまいこと、多層の集団で成り立つ健全な社会の再構築に尽力すべきだ。
そのためには、個人と国家を直結させるような「違法かどうか」という議論などには乗らず、もっと狭い集団を基準にして倫理を説いていった方がいい。
子供を相手にするように。