フィルタリングのないネット世界
ネット世界は、情報をオープンにし、双方向の行き来の簡便さばかりを拡大してきた。フラットで自由で格差の無い美しい世界であるはずのインターネット。
しかし、実際には有象無象が集まり喧々囂々と好き勝手に愚痴を漏らすだけの世界になってしまっているのが現実だ。
そういうことについて考えてみた。
マイナーであることの優位性
オタク的世界*1では、以下のような発言をよく見かける。
「これだから"にわか"は・・・」
「新参うぜぇwww」
「有名になってからつまらなくなった」
これらの発言は、よく考えてみると変だ。
なぜなら、これらの発言をしているであろう人たちは、上記発言が出るような状況になる前には、以下のようなことを言っているに違いないからだ。
「もっと評価されるべき」
と。
マイナーなものは熱烈に愛される。なぜかと言うと、そこにはマイナーだからこその優位性が存在するからだ。
本来、商業主義的観点から見れば、全ての創作物は"評価されることが成功への第一歩"と言える。評価されればお金になるからだ。
その点、マイナーなものはおおむね失敗作であり、良く言っても"発展途上"である。なぜなら、マイナーなものがマイナーたる所以は、一定数以上の評価を得るに至っていないせいだから。
そこで、"マイナーなもの"のファンは、そうでない他人に対する優位性を抱く。マイナーなものは"現在の社会には受け入れられるに至っていないが、社会が成熟すれば受け入れられるべきもの"だからだ。
昔のヨーロッパ貴族が何の社会の役にも立たないような絵描きをお抱えにしていたように、マイナーなもの、世間に受け入れられる余地のないもののファンは、そのマイナーなものを自分(達)のお抱えにしているように感じている。つまり彼らは、現在の未熟な社会では受け入れられるに至っていない"より高次にある文化"を保護しているパトロンなのだ。その"マイナーなもの"を知らなかったり拒絶したりする人は、未熟で幼稚で無知で下等な賎民である。*2
だから彼らは、ヨーロッパの貴族がマイナーな文化(絵描き)を保護したことで歴史に残る名画がたくさん生まれたように、彼らが保護しているマイナー文化が歴史に残る業績をあげることを期待している。
しかし一方で、そのように彼らの"保護"が実を結んだ暁には、同時に彼らの優位性も失われてしまう。マイナーがメジャーになった瞬間、それはパトロンを必要としなくなり、"一部の選ばれた人の高貴な趣味"から"無知な一般大衆に向けて作られた下等な娯楽"へとなり下がる。
たとえばメジャーデビューが決定したインディーズのバンドのファンが、以下のようなことをよく言う。(ようなイメージを私は持っている)
「やっと世間に評価されてメジャーデビューが決まったのはすごく嬉しいけど、なんだかちょっと複雑><; まるでバンドが私たちから離れていっちゃうみたいで・・・(;;」
"私(達)のバンド"が"みんなのバンド"になることは、"彼女"が"みんなの中の一人"になることを意味する。
だから、彼女は保護活動が不要になるという"商業主義的に見てもそのバンド自身の成長にとっても素晴らしい、彼女が行ってきた弛まぬ保護の結実"を喜びながら、何故だか釈然としないのだ。
となれば、最初の方に書いた発言についても十分に理解できる。
「これだから"にわか"は・・・」
この発言は、パトロンの優位性にのっかろうとする人間を牽制している。小人数のパトロンが多人数になり、最終的には"みんな"になってしまうのを恐れている。
「新参うぜぇwww」
"みんなのもの"になった瞬間から"元パトロン"の優位性は失われているのだが、彼らはその現実を受け入れ切れていないのだ。"元パトロンであること"を主張することで、彼らの権威付けができるものと信じたいのである。
「有名になってからつまらなくなった」
彼らが"面白い"と感じていたのは、その"マイナーであることの優位性"だったのだろう。とすれば、マイナーでなくなってからつまらなくなるのは必至である。もちろん、本当に純粋な意味で面白くなくなった可能性もじゅうぶんにありえるが。
他にも、流行りものを批判したくなる心*3、過去の失敗作を評価したくなる心*4、「昔は良かった」と言うオッサンなど、似たようなメンタリティを垣間見られる事象はいくつかある。
これらの新参、懐古、にわかなどといったキーワードから始まる論争は、人間心理としてもう起こるべくして起こっているとしか言えないのではないかと思う。
どうにかしたいなら、"元パトロン"は"自分がすでにパトロンではないこと"を自覚し、"新参"は"自分が楽しんでいるものは元パトロンが育てたもの"という感謝の念を抱くことをお互いが忘れないようにするしかない。
pixiv運営発言問題に見る幼稚な発言者たち
一部で盛り上がっているようなので便乗してみます。
表題の発言については以下。
社長の発言、それに対する他ユーザーからの質問のやりとりのまとめ
社長のTwitter発言まとめ
この一連のやりとりについて、「社長はトレスを容認してる!」とか、「いやいや社長が危惧しているのは過剰な揚げ足取りみたいな批判厨のことでしょ?」などの議論が活発なようですが、それってそんなに重要な問題じゃないですよね。
だって、議論をしている(と思っている)当の本人たちが全くもって議論をできていないんですから。
議論にもなっていないものを見て当事者じゃ無い人たちがそれを無理やり議論として成り立たせようとしても無理があります。
むしろ問題なのは、議論しているつもりになって全く議論を成しえていない幼稚な人々だと思うのです。
読書感想文:絆(江上 剛)
私は読書が趣味ということになっていますので、読書感想文を書いてみることにしました。
読む本は大体の場合、小説か新書で、ハードカバーは読みません。
外で読むだけなので、ペースはそんなに早くないです。
あと、選ぶ本が常に良い本というわけではないので、すごくしょうもない本などの感想も書いていくことになるかと思います。
なお、著者等に敬称をつけたりはせず、また主観的な感想がほとんどになるため場合によってはかなり悪し様に作品を貶すようなこともあるかもしれませんが、あしからずご了承ください。
さて、第一回は、江上剛の小説です。
初っ端から何だかしまらない感じです。
駅構内のちっさい本屋で平積みされていて、手に取りました。
この人の作品は取り立てて面白いということもなく、どちらかというと稚拙で、二流の感じがプンプンするのですが、金融や経済が全く分からない私としては結構興味深いので、何作品か読んでいます。
そんなわけで、辛口めのレビューになっていますので、江上剛が好きな人は続きを読まない方がいいかもしれません。
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男社会に生きる女性について
他の国はどうだか知りませんが、日本は男社会です。
男は外に出て働き、女は家庭を守るという既存の価値観を基に、実際に男性を中心として"外"の社会を構築してきました。
そして、このように男たちで特に何の問題もなく成り立ってきた社会に、何故だか分かりませんが、女性たちが殴りこんできました。
しかし、その女性たちはというと・・・
※この文章は女性を卑下する意図をもって書かれたものではありません。
ただ、男社会に生きる男性である私が、男社会に生きる女性たちのしんどそうな様子を見て思ったことを書いているだけです。
今更ばなな祭
問題となった記事
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090808
この問題には色んな捉え方があるようで、元リンクの記事内容からしても、やはり接客業のありようについて考えたりしてる人が多いみたいです。
ばなな祭りに乗っかろうかと思っていたのだけれど絶賛締切で多忙を極めているうちに旬を微妙に逃してしまったのでマーケティングな話題として少しだけ書いてみます。
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20090817/1250461272
言いたい事はタイトルで言い切ってるんですけどね。
とか。
店員さんが一度許可を出したのにそれを反故にされたという点についてはこちらの人たちの領分でしょうから、私はあまり触れないことにします。
後は、2ch的な「ばななふざけんなし!」みたいな意見。
これもごもっともで、明らかに高慢な態度は元記事を読んでも不快感しか感じられません。
私は接客業については、バイトではあるものの経験がありますが、残念ながらサービス業のあり方を語れるほどの経験はしていません。
それでも自分なりに考えてみると、そのバイト先はシティホテルに内設されたフレンチレストランのウェイターだったのですが、客層も客層ですし、少なくとも持込を禁止するようなことはありませんでした。*1
これは店の格付けがどうこうという問題でも少しはあるのでしょうが、そもそもお客さんの利用目的の違いが大きい*2ので、サービス業としてのありようを店主に問うのは難しいのでは・・・と個人的には感じます。
店主の頭が悪い・硬いというのもまた事実でしょうが、そこでエッセイに怒りをぶつけるばななもそんなに頭が良いわけではないんだろうなぁと感じました。
さて、元記事に書かれているように、どうもこの問題には世代間の認識の違いがあるようですので、私の考え方と拙い考察を書いてみようと思います。
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